Sound Trip#4
製作の過程からのつもりが、事後の文になってしまった。
4つ目の音の旅の箱を作りました。
3/23-29まで丸の内ハウスで行われるTHE SURVIVAL SHOWに出展しています。
(というか、企画をgift_/ASYLでおこなっています)
飲食フロアという、音のインスタレーションにはおそらく不向きな環境の中で、いかにしたら良い形で実現できるか、しばらく頭を抱え、手をつけられず、考えずに居たのだが、そろそろまずい、、とスケッチをしていたらふっとある形が出て来た。
手を動かすことは、時に頭で考えるよりも深層にあるものを掘り起こすことがある。コンピューターを使っていると経由するものが多過ぎて、これが出来ない。
そうして出た、いくつかのスケッチをもとに、形との関係性の中で、聴かせる音についてgift_内で話し合って方向性をまとめる。
あるところでキーワード[higner,further](より高く、より遠く)という言葉が池田からふと出て来たことで全体像がクリアに。
それからBOXの製作をスタッフの生田君に託し、図面、材料取り、そして絶賛製作中。(の時の写真)
(中々丁寧につくってくれた。バッチリデス)
平行して、スタッフの絵美ちゃんに音の編集作業をしてもらう。
前回までは、大半の音源は採集する所から始め、編集を行ってもらっていたのだが、
今回は最終的に自分が過去に撮りためていた音をベースにさせてもらった。
(バランスを整えるの苦労したと思います。ありがとう)
そして現在、丸の内ハウスにて展示中。
設置が朝の5時からの現場で、非常に疲れました。。
これは、梯子にのぼって音を聞くというものです。見ているだけでは音はほとんど聞こえてこない。
地面から脚を浮かせる、という感じでほんの少し高いところへ移動すると、音が聞こえてくる。
わざわざ「のぼる」というちょっとした行為を伴うことが、非日常にスイッチを切り替える
簡単な儀礼のようなものになればと思っています。
ちょっと感覚を研ぎ澄まして、小さな音の旅に出るための。
mentos
通勤中にふいに横を通り過ぎた広告カーになぜか目を奪われる。
グローバル系企業の商品広告で、おそらく海外で制作されたのでしょうが、
一瞬、自分が日本ではないどこか別の国にいるみたい感じられた。
最も身近で簡単な感覚旅行。
なんとなくアジア圏の、国際色は濃厚で近代的な首都だけにスタンダードでニュートラルな街並みの、路地のどこか、とかにいるような気分に(一瞬ですが勝手に)なりました。
テレビとか全く見ないのでわかりませんが、CMとかやってるんでしょうか。
こういうもののパッケージグラフィックって昔からあまり変わってなくて、独特のノリがありますね。
大阪重力@superdeluxe
前回ここに書いた「書割り」パネルの設営含め、なんとか無事終わりました、というかイベントとしては大活況で終わりました。(すいません、写真は後ほどアップします。)
単に面白いというだけでなくなかなか深みのあるトークで3時間はあっという間でした。それにしても22時ジャストに綺麗に終わったのにはちょっとびっくりした。(始まりは10分押しくらいでスタートし、自己紹介だけで約1時間半しゃべり通していたのに!)
周到な段取りがあった訳でもなく、いまここに集っている、という以外にはほぼ何もない所から絶妙に間をとりつつ花開いていく言葉のやりとりの中から、ちゃんと大切な部分を見つけて掘り出し、あるいは作り出してしまう。そんな文字通りの「トークセッション」で、とてもグルーブ感があり軽快でした。
大阪の魅力、というより大阪の人の魅力が存分に伝わりました。(もちろんゲストの方々がすでに魅力的であるということは当然ですが。)
そして若干パワーに圧倒された感じです。打上げも末席に参加させていただいたのですが、関係者ほとんどが大阪の方で(当然ですが)東京で行われたにもかかわらず、とてもアウェーに居るみたいな何とも複雑な気持ちになりました。(31日には、本拠地大阪でまた行われるのですが、そこの会場も作る事になっているので当然立ち会います。そこでは一体どんなことになるのか?)
これは別にネガティブな気持ちになったと言っているのではありません。トークのなかにもあったけれど、グローバリゼーションにおいて大阪人のように積極的で懐が深く、コミュニケーションに長けた資質は確かに必要かもと思ったりしながらも、プロジェクトの主旨の通り大阪の魅力とは何か?ということについて語られる事を聴くにつれ、むしろ逆に、「東京」ということについて、いろいろと考えさせられるところがたくさんあったのです。が、まだうまくまとまりません。
例えば、日本の中心とか、世界の文化拠点ということでなく「一地方都市」(この言葉は誤解を招くかもしれませんが)としての「東京」という考え方の可能性とか。東京生まれ、又は東京育ちという人の「同郷心」というのがあるとしたら、どういうことなんだろうかとか。。
これはいずれまたちゃんと書きたいと思います。
大阪重力
ちょっとした不思議な仕事の依頼をいただき、面白そうだけど中々難題。。と悩んでいた峠も
なんとか越え、やっと書いてもよいかもという気になれたので書きます。
大阪重力というトークセッションイベントの「背景」を製作しました。
いわく、「お笑いと食い倒れだけでない大阪の魅力を伝えるトークイベント」とのことで、
東京と大阪の2箇所で行われることになっています。(テツくんありがとう)
最初にもらったリクエストは、「吉本新喜劇の書割り、みたいなイメージで」ということこと始まりました。
書割りとは、舞台のセットで使われる背景画の大道具のこと。木製の枠に紙や布を張り、
建物や風景などを描いて貼付ける。書いたものがいくつかに割れるところから、「書き割り」
というのだそうです。
そこまではなんとなく分かる。とはいえ吉本新喜劇も見たこともないので、いろいろ調べてみると
確かに書き割りのお手本かのように、定規でかいたようなキッチリした構成に、変に書込み過ぎない
ベタな着彩が特徴的で、ほとんど立体感を持たない、ある意味「スーパーフラット」な世界。
しかしその背景の前で繰り広げられるのが、超ユニークなパワーをもった吉本の役者たちによる
ドタバタなコメディであることで、フラットさが対称的にはたらき、より人間味の豊かさ、深みを浮かび上がらせることになるのだと思う。(この辺りは想像の域です)
というか、これが舞台における芝居の世界の基本設定なのかもしれない。
話は戻って、では何の書割りにするか?ということで、アツい語らいが繰り広げられる(予定)の舞台の想定としては「純喫茶」の雰囲気なんかが良いのでは、ということに。
純喫茶、それなら自分の記憶の中にもあるし、掴めそうだ。
紆余曲折あってなんとか形にしましたが、設置場所の都合や、様々な条件のもと、
少ないパネル数で見せねばならず、これが難しかった。。
最初に純喫茶の空間イメージを写真で共有した後、その要素をかなりベタな「吉本風?書き割り」のタッチでやってみたときに、ちょっと物足りない感じがした。イメージとは違うものになりつつあり、若干方向が見えなくなってきたので現状を見せつつ、再度確認。。
何度かのやり取りの後、結局、ベタなタッチは良いが、最初の純喫茶の共有イメージも良かったので、そういう雑多な感じを出すためには静態した正面のアングルにこだわらなくてもよいのでは、という事になった。
次の日が入稿というタイミングだったのですが、自分でもこれで良いのだろうか?という感じがあったことに対し、客観的に言われて納得できたことで、覚悟を決めて1からつくり直すことにした。
という訳で、ちょっと前までできたモノを載せていたのですが、
やはりその絵だけ見せても意味が無いので、勝手ながら割愛させて頂く事にしました。すいません。
(イベントが終わったらまた気が変わるかもしれません。)
なにしろ、トークが行われる背景にあることで初めて機能するものなので。
実際のものは、よろしければ是非superdeluxeにて。(17日、火曜日ですが。。)
無料ですが、予約必要みたいです。
散文 -変わらないということ-
先週の土曜日、今進めているプロジェクトの為に、philの市川さんとmarunouchiHOUSEで打合せ。その後向かう方向がほぼ一緒だったので、電車を乗り継ぎながらお互いの経歴等の話などを。
間接的に名前を聞いていたくらいで、ちゃんと一緒に何か行うのは初めてで、そういうことを話したことがなかったけど、結構ニアミスしていたことが発覚。まあいろいろやってると大抵どこか接点があったりする歳ですが。
彼はアーティストのエージェンシーをずっとやっていて、そうなる前の話などもちょっと語りつつ、「もう8年も同じことをやっているなあ」という反省(?)めいた言葉に思わず、
「個人的な意見だけど、5年、10年と変わらず物事をやり続けている人の方がむしろ今新鮮でおもしろいと思うんですよ。」
というようなことを言った。
なぜそんなことを自分は口にしたのだろう。
確かに最近いくつかの出来事でそういうことを感じてはいた。だから自然に出て来た。
それは今、自分自身が最も見失ってはいけないものに思えたから、というのもあるだろう。
サイクルを早めるばかりの目新しさには軸がない。変わり続ける世の中と常に距離や関係性を計りながらも軸が変わらずにいるということは、実は最も変化に富んでいるということなのだ。
そういう所を経ているものや人を見ると、とても頼もしい。
試行錯誤の結果、自然と思い至ってしまったような言葉や、そういった姿勢からフッと出てくる鋭い視点を持っていることが、リアリティがある故に重みがあり、かつ面白い。
全然具体性に欠ける話ですが。